創業者 魚住けい

創業者 魚住けい
魚住けいの、美ら海への溢れる想いが真南風の原点です。

1983年に石垣島・白保の海と出会った魚住は、金武湾で伝え聞いていた海の豊穣と共にある暮らしが今も生き続けていることを知り、海とその暮らしを守ることに全力で行動を起こしました。

彼女のイメージと行動力は際立っており、海と島・自然に寄り添って暮らす人々への支援を何よりも大切に考えていました。組織に頼ることを嫌い、すでにその時期から白保の海人の採る天然モズクを自力で買い上げながら全国の産直団体に購入をお願いしてきました。

もずくの売り上げは結果的に活動資金になりましたが、彼女は美しい海が育む天然の海草の美味しさが人々に訴える力があることを確信していました。
「海と女たちの会(真南風の前身)」はすでに島の産物が自然とのバランスを考えた経済へ、そして自立に繋がるということを予見していました。

彼女はそれらを愛し、心を込めて多くの女性たちに届けたいと願い、また同時に沖縄から生まれた「美」を深く愛していました。美しい織物・素朴な焼き物を特に好んでいつも身の回りに置き、会社を「食と工芸・真南風」と命名しました。
彼女の優しさは常に厳しさと一体でしたが、生産者へのまなざしはいつも一方的に優しかった。彼女に厳しく叱責された想い出を持つものも、慈母のような面影しか思い浮かばないものも共通して深い愛情を注いでもらったものとして記憶に残っています。彼女の強い想いがたくさんの人の心を動かし、真南風の縁を紡いできました。
私たちはこれからもその想いを大切に子どもたちや、またその子どもたちに引き継いでいきたいと願っています。(真南風 夏目ちえ談)

魚住けい プロフィール

1945年 三重県松坂市生まれ 中学卒業後、名古屋で美容院勤務。
1966年 「名古屋ベトナムに平和を市民連合」通称 ベ平連 結成。
1972年 結婚し、72年沖縄に移住2児をもうける。「金武湾を守る会」参加。ベラウと水俣の交流をすすめ、砂田明一人芝居の勧進元をつとめる。
1983年 水爆被曝地マーシャル諸島へ。その後、石垣島白保の保護運動で「海と女たちの会」に参加。サンゴ礁の保護を祈念し「前川美智代」改め「魚住けい」を名のる。
1984年 京都で暮らしはじめる。二男誕生
1987年 石垣島で暮らす。(1989年までの2年間)
1995年 「食と工芸・真南風」を設立。
2004年 6月26日 癌により58歳という若さで生涯を閉じる。墓所は京都嵯峨小倉山・常寂光寺

設立のことば

一、命産ましめる真南風

真南風(まはえ)、という言葉からは、古琉球の島々のたたずまいが匂い立ってまいります。
遥か南の海の彼方、小さなくり船を操り群星(むりぶし)に誘なわれて漕ぎ渡ってきた古代人(びと)が、島々に五穀と真南風を運び上げてきました。
海の深み、波から生まれ、力漲り、清冽に輝いて島に吹き渡ってきた真南風。
島にいのち孕ませる真南風。

一、命産ましめる真南風

1971年5月、沖縄の「日本復帰」より23年目の秋、私たちは縁あってここに「沖縄手ぬ花 食と工芸・真南風」を設立いたします。
発起人の女性たちは、いのちを孕み、生み育て16人の子の母として、断崖の危機にある水の惑星を癒し、今一度産ましめたい、という祈りをもって結ばれております。
地上に止むことのない戦火、一切の生類の未来をかき消す核の存在、とりわけ子供たちのただいまの惨禍。それら苦悩の報告を前にして、そこから絶望でなく、希望や勇気をくみ出すことは容易ではありません。
「私たちは多くの愛する人や友だちをもっている。けれども、その人々はまだ生まれていない」(『世界は恋人 世界はわたし』ジョアンナ・メイシー)
生まれていない人々から力を授けられること、時代を切り開く勇気の根拠のひとつをここに求めたいと思います。

そうして、今を生きるこの場から次の世代に架ける魂の母語を紡ぎたいと願うものです。魂の母語を求め得ようとする私たちの精神風土の基底には、何よりも海と島とサンゴ虫の営みに対する深い畏敬がおかれております。
この日本列島がかつてサンゴ礁によって形成されていたことを知ったときのあの心安らぐ思い…。
この時代にこそ、原初の空間、原初の森に還らねばならぬとの啓示を、ひたすらに聴き入る時に至っているのだと思われてなりません。

私たちは大地と森と海の子であり、それ以外ではありません。たかだか40~50年の近代文明によって数千年来の私たちの種に伝承されてきた風土の象(かたち)が破壊されることなど有り得ぬものと、大本(おおもと)のところで信念をもたねばなりません。そうして、新しい風土形成のために小さな石を積む穏やかな力に恵まれることを謹んで願うものです。

二、食べごしらえ 真南風の仕事

二、食べごしらえ 真南風の仕事

十年来、私たちは沖縄、石垣島・白保の天然モズクを取り扱ってまいりました。
もずくという食べ物を通して幾多の島の人とものとの出会い、巡り合せがありました。私たちの新しい仕事をこの上におかせていただこうと思います。

島の海幸・山幸たちは、それを育んだ海人や農民と同様、独特の風貌を備えております。一つ一つのものそのものに南の物語があり、しかも物語の彫りはまことに味わい深いものがございます。

かつて、絶対孤立をやむなくされていた島々で、いのちそのものであった食べ物。その食べ物を得る工夫・知恵・労働に全身全霊を打ち込むことによって、おのずと野の気品を備えられた人々の暮らしの厚み、その豊穣。同じように、日本列島の山地・海辺の人々も地形・風土に調和した暮らしぶりをもっておりました。強権をもって追われ、潰えたといえ、千年の列島生命譜の末裔こそ、私たちにほかならず、沖縄の島々と向き合おうとすれば、遠い視線をもって今更にここを誇りと致さねばなりません。

沖縄が日本・本土・ヤマト、さまざまに呼ばれる国に復帰してから23年が経過しました。
復帰は沖縄に何をもたらしたでしょう。

一言でいうなら、取り返しのつかない島生命体への損傷の深さです。
一気に持ち込まれたハードな公共土木事業、巨額の補助金は、破壊と混乱をもたらしたばかりでなく、植民地的な社会基盤の脆弱さを固定しております。
海を埋め立て潰し、島を覆っていた深い緑が削ぎ取られ、20年このかた、常に何らかの公共土木工事が行われております。島嶼生態系としての島々に対する一切の配慮なしに行われた工法によって、赤土(表土)流出と海の汚染が先ず沿岸漁業に壊滅的打撃を与え、繰り返される赤土(表土)流出は農業と漁業の両面にわたる深刻な被害を生じさせております。

二、食べごしらえ 真南風の仕事

また、基幹産業と位置づけられた砂糖キビ生産も、後継者不足から収穫放置が相ついでいる中、94年、沖縄県経済連製糖工場の閉鎖案が浮上、沖縄県中部13市町村の生産農家1000人が「農家潰しだ」「工場の稼動存続を」と訴えて集会を持つに至っております。

当初の意図がどうであれ、公共事業としての圃場整理は、祖先の祈りと労働の蓄積である”地力”を根こそぎ消滅させる結果となっております。この”地力”こそ沖縄現代史が被ってきた悲劇・受難・圧制を越えて島の人々が生きついでこられた力の源泉にほかなりません。

天与の自然に恵まれて、ものとひとが織りあげる一枚の布としての「もうひとつの自然。」神々と人の交響、相互の働きかけの中に”地力”が産まれてきたのです。
砂糖キビやパイナップルの危機も、つくられ管理された危機であって、島本来の危機では決してありません。活路は必ずあるはずです。

三、交易する沖縄・食の自給自立

沖縄の生産者は自然災害のたびに多大な被害、人口流出の試練に耐え、また砂糖キビのモノカルチャーに抗して数々の生産を試行されておりますが、長年の、そして最大の課題は「安定した流通」にあります。生産者と私たち双方共に顔を合わせ、沖縄の気象条件をはじめ、いくつもの関門を想定しながら、何をどのように生産していただくのか、一つの心となって取り組みを重ねてゆくことから始めたいと思います。

三、交易する沖縄・食の自給自立

もとより私どもにその力が備わっているのではありません。ひとえに皆様方のお力添えをお頼み申し上げ、支えていただきながら「真南風」の仕事の大きな柱にさせていただきたいと存じます。

安定した信頼できる流通が確保されれば、生産品目も生産者の年齢の幅も広がりましょう。私たちは沖縄の恵み、健やかな食べ物を求めて、これからも多くの生産者の方々と出会い、共に知恵・工夫・経験を練って可能な限り島嶼生態系を傷めない生産体系を確立し、多くの人々に受け入れられていただけるよう努力をいたします。

「島は小さくとも美において大いなる島」(柳宋悦氏)と讃えられた、島の華であり、宝である工芸。数々の手の技、暮らしの中から生まれた堂々たる美「手ぬ花(ティヌパナ)」。島の工芸・民芸の底に鎮もっているのは民族の息づかいであり、魂の語り部の声そのものなのです。
観光化のために万一にもその精(シイ)が衰えてゆくことがあってはならないことです。この分野におきましても私どもにできることを問いつつ、非力もかえりみず手も足も働かそうと思っております。

交易する沖縄・食の自給自立

「豊かなアジア・貧しい日本」ともいわれております。日本への復帰はその「貧しい日本」への従属化だったのでしょうか。
「豊かなアジア」としての暮らしは、武器なく飢えなく長命を寿ぐ交易立国としての沖縄の歴史に花咲いておりました。

復帰後、沖縄の視界は一気に世界大に拡がりました。自給・自立経済に向けた不断の努力も続けられております。

何にもまして日本を冷静に視る眼力が生まれました。社会破壊・環境破壊としての復帰を経験した沖縄が、この眼力をもって「沖縄発」としてアジアや世界に送るものが、たとえば循環する交易であり、貧しく虐げられた国々の民衆に対する共感・共生の援助のプログラムであってほしいと願いは募ります。

日本に住む私たちがそのパートナーとしての自己形成してゆくことは尚大切なことでしょう。

交易する沖縄・食の自給自立

沖縄が世界に向けて発信する「島の叡知」の中にこそ、さし迫る21世紀を生きる人々に継承すべき、普遍の風土の象(かたち)が埋めこまれているのではないでしょうか。

交易する沖縄・食の自給自立

「夢の力」を信じて、真南風の仕事を始めたいと思います。
「真南風」が島からいただくものは、熱帯果樹、在来の果樹・野菜、海・山の加工品、島酒(あわもり)、工芸品などですが、これらは島々からの貴い”寄い物(ゆいむん)”でございます。 

願わくば、食べごしらえの素材を通して、沖縄の食の文化・風土・歴史のみならず、「島宇宙」と呼ばれる、島それ自身の内的生命体に触れ得ることができるような仕事になりますように。

どうぞ「真南風」に皆様のお志とご縁を重ねていただきまして、お力添えを賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

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